教員のセカンドキャリアを提案する › 2018年08月
新しい人生の列車はホームで待っていますか?
2018年08月29日
八ヶ岳連峰型の人生の話は前にしましたが、一つの山(人生のキャリア)を終えたあと、別の山を登る準備はできていますか?
もう少し分かりやすく言うと、今乗っている「人生という名の列車」が、「人生の節目の駅」に着いたときに、向かい側のホームに「乗り換えの列車」は待っていますか?
「仕事」はイメージしやすいかもしれません。退職後に新しい仕事が見つかっているかどうかということです。
大事なのは「コミュニティ」です。
人は誰かとつながっていることで生きがいを感じるものです。
退職すると、それまで仕事でつながっていた人は付き合いがなくなります。
具体例を挙げると、学校の校長先生だった人は、退職した次の日から「ただの人」になるのです。校長という肩書では人付き合いできないのです。
そのためにも、職場というコミュニティ以外にも、複数のコミュニティ、ようするに、複数の顔をもっておくことが必要です。
そうでないと……
会話をする人が誰もいない、という寂しい老後が来るかもしれません。
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もう少し分かりやすく言うと、今乗っている「人生という名の列車」が、「人生の節目の駅」に着いたときに、向かい側のホームに「乗り換えの列車」は待っていますか?
「仕事」はイメージしやすいかもしれません。退職後に新しい仕事が見つかっているかどうかということです。
大事なのは「コミュニティ」です。
人は誰かとつながっていることで生きがいを感じるものです。
退職すると、それまで仕事でつながっていた人は付き合いがなくなります。
具体例を挙げると、学校の校長先生だった人は、退職した次の日から「ただの人」になるのです。校長という肩書では人付き合いできないのです。
そのためにも、職場というコミュニティ以外にも、複数のコミュニティ、ようするに、複数の顔をもっておくことが必要です。
そうでないと……
会話をする人が誰もいない、という寂しい老後が来るかもしれません。
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Posted by nori910 at
17:51
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新しい仕事とコミュニティについて
2018年08月26日
仕事を退職して直面することは
「思った以上にお金が必要なこと」
「新しいコミュニティの必要性」
です。退職後の支出については、いろいろなサイトに書かれてあるので、割愛します。
私は
「収入を得るために、仕事をどう見つけるか」
ということに視点を当てて、お伝えしたいと思います。
もう一つは、
「新しいコミュニティをいかに作るか」
ということです。
仕事をしているときは、仕事つながりの人がいれ、それなりのコミュニティが築かれていました。また、職場において自分のポジションがありました。
退職したら、肩書も、仕事上の付き合いも全くなくなるのです。
『私』という個人のパーソナリティで人と付き合っていかなくてはならないのです。そして、その付き合いは自分から求めないと築かれません。待っているのは孤独です。
どうやってコミュニティを築いていくかについてもお伝えしたいと思います。
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「思った以上にお金が必要なこと」
「新しいコミュニティの必要性」
です。退職後の支出については、いろいろなサイトに書かれてあるので、割愛します。
私は
「収入を得るために、仕事をどう見つけるか」
ということに視点を当てて、お伝えしたいと思います。
もう一つは、
「新しいコミュニティをいかに作るか」
ということです。
仕事をしているときは、仕事つながりの人がいれ、それなりのコミュニティが築かれていました。また、職場において自分のポジションがありました。
退職したら、肩書も、仕事上の付き合いも全くなくなるのです。
『私』という個人のパーソナリティで人と付き合っていかなくてはならないのです。そして、その付き合いは自分から求めないと築かれません。待っているのは孤独です。
どうやってコミュニティを築いていくかについてもお伝えしたいと思います。
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Posted by nori910 at
14:16
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第2の人生を送るべく「公務員」を早期退職しました!
2018年08月21日
私は、31年間、公務員をしておりました。
もう少し具体的に言うと「教員」でした。
一般には60歳まで教員をやり続けることが、安定した人生なのでしょう。
私は、「安定」より「挑戦」を選びました。
ひと昔前は「1つの人生」を生きる『富士山型』の人生が正解でした。
しかし、寿命も延び、年金支給年齢も引き上げられ、我々には「いくつもの人生」を生きる『八ヶ岳連峰型』の人生が必要なのです。
そのために、私は教員という山を下り、新しい山を登ることを決意しました。
歩み始めた私に待っていたのは・・・。
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もう少し具体的に言うと「教員」でした。
一般には60歳まで教員をやり続けることが、安定した人生なのでしょう。
私は、「安定」より「挑戦」を選びました。
ひと昔前は「1つの人生」を生きる『富士山型』の人生が正解でした。
しかし、寿命も延び、年金支給年齢も引き上げられ、我々には「いくつもの人生」を生きる『八ヶ岳連峰型』の人生が必要なのです。
そのために、私は教員という山を下り、新しい山を登ることを決意しました。
歩み始めた私に待っていたのは・・・。
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Posted by nori910 at
21:08
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